剣道の試合前に「今日は調子いい?」と聞くことの危険性

こんにちは!ナビゲータの剣道愛好家・ごまちゃんです。2020年3月時点で世間を騒がせている新型肺炎(武漢肺炎)で、剣道も稽古会や大会が次々と中止になっています。新年度試合経験が無いまま大きな公式戦に出ることになることになってしまうこどもさんも多いことと思います。そこで本日は、試合に置いての危険な「声掛け」について深堀りしていきます。

素人保護者りゅうかです。
試合どころか、稽古場所もなかなか確保できません。新年度どうなってしまうのでしょうか・・・最初の試合でへまをしないか心配です。

イケメン剣士JHOです。試合でうっかり言ってしまいがちな「今日は調子がいい?」とか「大丈夫だよ、うまくいくかもしれない」などというような声掛けは、聞くたびにハラハラしてしまいます。

では、さっそく、「試合のさいの声掛けのタブー」に切り込んでいきましょう。

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「今日は調子がイイ?」て聞くことの危険性

「今日は調子がイイ?」て試合前に何気なく聞くことが多いと思います。

でもこれは、結構危険な声掛けです。

そう聞くこと自体に、「剣道の試合は調子の良し悪しに左右される」ていう思い込みが言葉の奥にあることに気づいてください。

その上、それをこれから試合する人に聞くことで、「試合が調子の良し悪しに左右されるていう思い込みを他人に伝染させる」という副作用が着いてまわります。

言葉というのは、その背景にいろんな世界が発生しています。

特に素直なこどもは、言葉の奥の背景をそのままダイレクトに受け入れてしまいます。

・調子が良ければ試合が上手くいく

・調子が悪ければ試合がうまくいかないかも知れない

と暗示をかけてしまうと、「今日の僕は調子がいいんだろうか?悪いんだろうか?」という、本人にもつかみきれない不安を芽生えさせてしまいます。

もっと深堀りすると、「今日は調子いい?」と聞いている保護者や指導者自身が、こどもが試合でちゃんと実力を出せるかどうか「不安に思っている」ということです。

「不安」の何が怖いかといって、「正体や実態がつかめないこと」が怖いのです。

調子の良し悪しは他人が見てもわかりませんし、本人にもつかみきれません。

本人にもつかみきれないものを考えさせることは、「不安を増大させる」ことに繋がります。

不安というのは実態がつかめないだけに、無限大に体積を増大させることができるので、厄介なものです。せめて大人がこどもの不安を助長させることのないようにしたいですね。

コラム・「新型肺炎」の不安

現時点で、日本では新型肺炎の広がりでみんな不安に陥っています。

数字だけを見ると、インフルエンザよりもはるかに少なく、死亡者も80代以上に限られていてその数もインフルエンザの何十分の一というものなのですが・・・

どうして日本でここまで混乱を招き入れているのか、というと、

・未知のウイルスで正体がわからない

・検査が簡単にできないので、自分がかかっているのかも、でもそれを知る手掛かりがない

・日本は比較的感染者数や死亡者数が少なめだけど、他国でものすごい感染が急拡大しているのがニュースで放映される

ていう、不安が強力な媒介になっています。

ちなみに今年はインフルエンザはものすごく少ないらしい。手洗いうがいマスクでみんな自衛しているからでしょうか。

偶然を期待したら、己の身にも降りかかる

ものすごく珍しいことですが、稽古を一生懸命していたら、たまたま実力以上の力が出て「神ってる状態」になることがあります。

稽古を一生懸命していたら実力以上の力が出ることは確かにあるのですが、そこに「期待」が入ると、危険です。

「ひょっとしたら実力以上の力が発揮できるかもしれない」

「相手の調子が悪かったり、怪我をしているかも知れない」

「偶然に竹刀が当たってうまいこと行くかもしれない」

このような期待がどこから来るのか、ということを知っておいてください。

期待することは、「偶然の作用は自分の努力の積み重ねより大きな効果がある」と無意識に思っている、ということです。

今まで稽古で汗を流した経験、試合で負けて悔しかったこと、辛かったこと、それらの経験よりも「たまたま」のほうが効果がある、と思っていたとしたら、試合はギャンブルになってしまいます。

自分の努力をギャンブルよりも下に置いてしまうのは、自分を粗末に扱うことに繋がります。

こどもの努力よりも「偶然」のほうが強く重いとしたら、こどもは一体何のために努力をしているのでしょうか?

そしてさらに、「偶然を期待する」ことの悪影響があります。

例えば、こどもに実力があり、普通に行けば必ず勝てる強さを持っていても、お相手の「偶然」で負けてしまうことも同時に願っている、ということになります。

これをわかりやすく言うと、

人を呪わば穴二つ、自分のやったことは人にもやり返させる、因果応報、

と言うような諺で表されます。

自分のこどもが偶然によって勝つことを望む、ということは、自分のこどもが実力で勝っているのに、お相手がたまたま偶然勝つことを望んでいるのと同じことです。

試合はギャンブルではありません。

双方力を尽くして普段の稽古の成果を発揮してお互いにフェアに戦って結果が出るものです。

そこに「偶然」を入り込ませるのは、努力をしているこどもに対して失礼です。

これと同じで、試合に負けた後、「たまたま負けただけだよ、運が悪かった」「あれは審判が悪い」というような声掛けも、これと全く同じです。

このようなことを繰り返し言えば言うほど、

「試合にはたまたまってことがあり、審判や偶然次第で結果が左右されるんだ」

という思い込みをこどもに植え付けていることになります。

そうなると行き着く先は、「努力」「稽古」よりも「たまたま」「審判次第」という、運命を他人に委ねる姿勢になってしまいます。

このように考えると、試合前のこどもの声掛けは、

「今日は調子がいい?」と言うよりも「普段通り、稽古頑張ってきたことを出してきてね」と言ったほうがいいです。

さらに、(お相手は強いけど、何か大きな偶然が振ってきてたまたま勝てないかな)などと願うことも、こどもにとって危険なことである、と認識できるのではないでしょうか。

▼「試合に勝てるメンタル」を求めると・・・

試合に勝てるメンタルは存在しない?

親の気持ちはダイレクトに伝染する

これは、試合慣れしてくればしてくるほど感じることかも知れません。

低学年のこどもの試合など、審判の先生方は「こどもの試合よりも保護者の視線が怖い」て感じたりするらしいです。

応援している態度などでも、保護者が声を張り上げて応援していたりするシーンを見かけますが、実は、あれは少し逆効果な面があります。

試合会場で、親が張り付いてじっと見ていると、こどもはかえって伸び伸びと動くことができません。

親と心が繋がっているこどもに親に緊張が乗り移るのは、ごく自然なことです。

特に親が不安な気持ちで試合を見ていると、こどもにその気持ちはダイレクトで伝わって、動きがこわばってしまいます。

親のほうが平常心を喪っていて「普段通りにね」「しっかりね」「頑張って」とこわばった顔で声掛けしていたりしますが、それは励ましているのではなく、「こどもに自分の緊張を擦り付けている」感じに見えてしまいます。

こどもは本来大らかのびのびと生きていて、ものごとを楽しむ天才です。

そこに親が「自分の不安をこどもに乗り移らせ」て「自分がラクになろうとする」のはやめたほうがいいです(わざとではないにしても)。

もちろん、親はこどもに意地悪をするつもりでもないし、こどものことを心配してアドバイズ(?)しているつもりなんでしょうが、結果的にこどもに不安を乗り移らせ、緊張をもらわせてて親の気持ちだけがラクになっている、ていう笑えないことになってしまっている可能性が高いのです。

親が平常心になれないのであれば、試合を見るならできるだけこどもから離れて、言葉かけは監督に任せるのが一番かも知れません。

まとめ

まだ体の小さなこどもが、一人っきりで戦いに出かけるのを見て、親は心配で不安でたまらないし、何とかしてやりたいと思ってしまうのが常です。

ただ、こどもはたくさん試合をしていて、試合会場では一人っきりでいることも、勝ち負けにも耐性が着いていることが多いです。

しかもこどもは物事を楽しむ天才なので、試合もテストも親が思っているほど緊張していない可能性が高いです。

親の声掛けとしては、「大丈夫だよ、普段の稽古通り、精いっぱいやっておいで」というふうな感じで良いですし、何よりも、

・剣道の試合には調子の良し悪しは関係ない。

・試合には偶然は存在しないし、そういうものには一切期待しない

という固い決意を持って、大らかに、こどもの剣道を見守っていきたいものです。

 

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